月刊 小品文 (海江田万里の政経ダイアリー)

2026年2月16日号

衆議院選挙を終えて

早いもので総選挙の投開票日から1週間が経ちました。私自身の結果を含めて中道改革連合に集まった仲間の成績はみじめなものでした。もちろん、私の落選の一番の原因は私自身の力のなさに尽きます。応援してくださった皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、いつまでも失意の中に沈んでいるわけにもいかず、気を取り直して今回の解散から総選挙に至る過程を振り返ります。

先ず、私は選挙直前に中道改革連合を立ち上げることについて立憲民主党の常任幹事会では賛成の立場で、その趣旨に沿った発言もしました。その理由は昨年秋に誕生した高市政権の高い支持率が続く中で、奇襲攻撃ともいえる通常国会冒頭の解散の意向が伝えられ、このままでは立憲民主党は壊滅的な打撃を受け、高市自民党政権が衆議院において多数を占めることになると考えられたからです。

その時点ではまだ自民党の選挙公約などは発表されていませんでしたが、これまでの高市総理の発言、昨年末の臨時国会での答弁を聞いていると、「この政権は危うい」「高市政権をこのまま続けては、日本経済は大きな痛手を受けるし、外交安全保障政策では軍事費が突出し、いつか隣国と戦火を交えることになる」との危惧を強くしていました。

長年にわたり自民党と協力関係を結んでいた公明党は、昨年秋に高市政権が発足する際、同じような思いから、連立を離脱して野党の側に立場を移すことになりました。さらに公明党が自民党を見限った理由は「政治と金」の問題があったとも聞きました。

自民党との連立を解消して野党になった公明党の斎藤代表(当時)は、「中道の考えを軸に大きな塊をつくる」と発言していました。立憲民主党と公明党はこれまで各々の党が定めた政策がありましたが、共通点も多い両党は、「小異を残して大同を求める」協力関係を進めるべきだと私は考えていました。

どんな協力体制を採るかは、交渉事で、私も参加した立憲民主党の常任幹事会で「この後の交渉は代表に一任する」ことが決まりました。「党を一つにするのではなく。選挙区ごとの協力にとどめるべきだった」との意見もありますが、それは後付けの理論で、あの短い期間では到底無理な相談でした。党の綱領と主要政策についても、当面は両党のこれまでの政策の最小公倍数的な政策で、選挙後、党内の議論を尽くしてさらに精緻なものにしていけばいいと考えていました。

いずれにしろ、選挙で示された民意は、こうした私たちの思惑をはるかに超えて高市政権に対する圧倒的な支持によって、中道改革連合の存在は今や風前の灯火ともいえる状況です。ただここで、中道改革連合が空中分解してしまえば、その時は日本の国会から民主主義が消えてしまいます。

議席は減らしましたが中道改革連合は衆議院では比較第2党ですし、新しい体制も決まりましたから、新執行部には今後、参議院の立憲民主党と公明党が中道改革連合に合流するよう働きかけを行ってもらうしかありません。

東京1区の選挙でも、これまで立憲民主党を応援してくれていた人々が、離れてしまったことは敗因の一つですが、やはり最大の原因は、従来、私を支持してくれた無党派層が、自民党候補に大量に流れたことにあります。今後、無党派にどうウイングを広げるかが課題です。私自身、これからの地元活動については未定ですが、中道改革連合の旗は降ろさず、高市政権の危うさに警鐘を鳴らし続けるつもりです。

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